今回は過去に私が感じた瞑想の体験談です!
実は私の家は結構変わった家庭でして、物心ついたころには母親が「瞑想」にハマっていました。
そして私自身、母に連れられて瞑想教室にしばらく通っていた時期があったのです。
それは小学2年生の頃。8歳になる夏の頃の出来事。
いつものように瞑想を行っている時、ふと、自分から抜け出して、空高くぐーっとひっぱりあげられるような不思議な感覚が。
その不思議な感覚は私に安心感と万能感を与えました。言うなれば「自分がそこにいるのにいないような感覚」。
当時母親に聞いても友達に聞いても「何言ってんの?」という反応だったため、小さい子特有の「アリス症候群」の様なものだったのかなーと思っていたんです。
しかし先日、瞑想について色々調べているうちに「あれは深い瞑想状態だったのではないか」という気がしてきたんですね。
深い瞑想状態に陥ったらどんな気持ちになるのか。そして、世間で言うところの瞑想中の「魔境」に陥った体験もあったのでその2つをテーマにまとめてみました。
(魔境に陥ってから瞑想が怖くなり辞めてしまいました。)
冒頭で記したように、私は小学2年生の頃に母に連れられて瞑想の教室に通っていました。
新宿にあり小さな雑居ビルの3階。
入ったらお香のような匂いが立ち込めて、3つほどの部屋があり、なんとなく修道院の様な無機質な空間だったように記憶しています。
小さな看板があって、そこには空中浮遊しているような人の姿が印刷されてて、某アニメ映画の魔女に憧れていた私は「ここは空を飛ぶ練習の場所なんだ」と期待に胸をときめかせていたのを覚えています。
(ちなみに、某宗教団体とは全く関係ありません。^^; 当時、その宗教の影響でか「空中浮遊」がちょっとしたトレンドでしたから、ヨガや瞑想教室は皆真似していたのかな...//S61年生まれ)
※魔女のイメージはこんな感じです!^^
とにかく魔女になれる学校だと勘違いした私は、ラフな装束服を着た先生二人と小さな小部屋に入り、集中するための言葉(おそらくマントラ)を教えてもらいました。
暗記が苦手な小学生だった私はこの言葉を2回ほど忘れ、3回目でやっと覚えました。「またかよ」という表情の先生に「教えて」と言い出しにくかったのを覚えています。笑
父の帰りが遅かったので、我が家では夕ご飯の後に母によって決められた「瞑想の時間」というものがありました。
教室で買った綺麗なお香立てにお香を一本立てて、それが終わるまで目をつぶり瞑想するというもの。
私は目をつぶってる母が面白く何度か茶化していたのですが、結構な気迫で怒られて慌てて集中し始めるというのがいつものサイクルです。
私の中では「瞑想は空を飛ぶお稽古」だったので集中なんてできません。期待に胸おどらせ大好きなアニメの事を考えたり、空を飛べたらどこへ行こうなど...。頭の中は雑念でいっぱいでした。
「集中するための魔法の言葉よ。」
そんなある日、ふと教室の先生がそう言って教えてくれた言葉(マントラ)を思い出します。
教えの通りその言葉だけを頭の中で唱えていると、不思議なことに時間という概念がなくなるような、おかしな感覚になる事に気づきました。
ほうきに乗って精神を集中し、次の瞬間バッとほうきが膨らみ空へ飛び立つ...。
映画の中の魔女が空を飛ぶとき、そんな描写がされていたことを思い出し、「これが力を溜めている状態なんだ。魔力なんだ。」と変な勘違いをしていた私。
でもそれが良かったのか集中でき、その後その言葉を唱えると時間の概念のない不思議な感覚に落ちていく事が出来るようになりました。
「あまり考えず、今だけに集中するのよ。」
これは瞑想教室の先生が私にかけてくれた言葉です。
当時8歳だった私にはその言葉を真に受けて「今」だけに集中しました。
と言ってもやり方は簡単。
ひらすら、「今...今...今...。」と唱えるだけ。
今、私はここに存在している。
どうしてここにいるんだろう。
私、ってなんなんだろう。
今って、いつのことなんだろう...。
と、今に集中すると今がゲシュタルト崩壊してくるんですよね。
そうなると身体がふわふわして、身体が後ろに引っ張られる感覚が来ます。
言葉にするのが難しいのですが、身体がふわふわとして、「ここってどこ?今って何?」と疑問が浮かんできて、何かが起こりそうな予感に目を開けるんですけど、違和感は変わらないと言った体感。
その後、まだ「今って?私って?」と思って、身体を触ったりしているうちにググッと身体から引き離されるような、身体の枠がなくなったような不思議な感覚になりました。
私はそこにいるのに、その私を傍観しているような。
私の本体は遠くの方にいるような。
そんな感覚です。
その時に、なぜか誰かが自分を守ってくれていたり、愛してくれているんだという変な安心感を得ることが出来て、怖いけど嫌な感じではなかったです。
ある程度自分の身体から離れた気持ちになったら、「早く元に戻らなきゃ」と焦って、そうすると離れていた自分にだんだん意識が一体化にしてふわふわしなくなります。
私はこの感じが面白すぎて、暇な時によく遊ぶようになりました。
だけどある日。学校で友達に話して、同じ感覚で遊ぼうと思った時、友達に「何も感じない」と言われてしまったんですよね。
そこでなんとなく「変な感覚なんだな」って思ってその時にすごく怖い気持ちが溢れ出したんです。
私の場合は、ふわふわする感覚を友達に理解してもらえなかったことで、この能力が不気味になってしまったんだと思うんです。
友達がいると思って誰もいない教室に入って探したけど、そこに友達がいないと気づいて途端に怖くなる感覚。それに似ています。
そしたら急に「逃げなきゃ」という焦燥感に襲われて、なんとかふわふわした感覚から戻ってきたのですが、それ以降一切瞑想をすることはありませんでした。
当時の記憶を思い返してみると、瞑想で得たのは安心感。そして「すべてが分かったような気がする」という万能感でした。
ここにいるはずなのに遠くにいる感覚。
もしかしたらもっと適切な言葉があるかもしれませんが、今のところあの感覚を表現する言葉はこの一言です。
根拠のない「大丈夫」という感じ。
例えるなら「後ろに味方が付いていて支えてくれるから自分らしく進んで大丈夫。転んでも何とかなる」という安心感。
自分は何にでもなれるという万能感もあり、魔境を体験するまでは毎日あの感覚を手探り寄せようと頑張っていたくらい。
怖い思いをしてからもう瞑想からは遠のいてしまいましたが、あの安心感が瞑想の効果だとしたらぜひまたしたいと思いました。^^
魔境に行ってしまう可能性は誰にでもあるようなのですが、正しい方法で行えば魔境を覗くことはないのだそう。
(私の場合、瞑想中に友達に話をかけ、理解してもらえなかったことから「この感覚は存在していないもの、怖いものなのかも」と思ってしまったのが魔境を引き寄せた原因なのかな、と思っています。
瞑想は心身のリフレッシュができ、母親の胎内に戻るような不思議な感覚を味わうことが出来る魅力的な施術です。
もし機会があれば、信頼できる師を見つけて導いてもらうといいかもしれませんね。^^
私もいつかそんな先生を見つけたいなと思っています。^^♪